被災地レポート(1)
死者・行方不明者合わせて1万8684人、住宅の全半壊約40万戸--。昨年3月11日の東日本大震災から1年半余りが経過した。編集部ではこれまで7回の現地取材を敢行。今回は宮城県内で最も被害の大きかった石巻市を再び訪れ、現地の住宅の復興状況について取材を行った。
「仮設を出たい」、津波被害区域に戻る被災者も
石巻市の人口は約15万人。約6万世帯が暮らす、宮城県第二の都市。今回の震災では各市町村の中でも最大の被害を受け、死者・行方不明者合わせて3941名(2012年9月末)に上った。
海岸と旧北上川河口にある沿岸地域、南浜・門脇地区(※写真1)とそこからやや西にある釜・大街道地区は激しい津波が襲ったエリアだ。これらの区域だけで、2000名以上が亡くなり、住宅は全壊・半壊含めて1万6797棟に達した。被災時には150カ所の避難所に約4万名が避難したと言われている。

(1)2000棟の住宅が流出した南浜・門脇地区
特に南浜・門脇地区は2000棟もの住宅が津波によって流出し、かつてあった膨大な数の住宅は消え、草原のようになっていた。ときおり解体されずに残された住宅が、痛々しい姿のままぽつりとあるだけ(※写真2)。人影もない。

(2)残された家が津波の威力を示している
「初めて来た人はここに住宅街があったなんて想像もつかないかもしれませんね」。リフォーム会社、東北カナメ社長で、石巻市出身の廣中聡氏はこう話す。雑草をかき分けて行くと、足元に微かに見える住宅のコンクリ基礎だけが、かつてここが住宅街だったことを示している。新築が建てられることはなく、ここは「鎮魂の森公園」として整備が計画されている(※写真3)。

(3)高台・日和山から見た住宅害は草原のようになってしまった
釜・大街道地区で驚かされたのは、津波の被害を大きく受けたこの地に再び戻って住む人が少なくないということだった。「私たちもここで数多くのリフォームをやりましたよ」(廣中社長)。ここは、2m近い津波によって住宅の1階部分だけが押し流されて空洞になったままの住宅が数多くあった(※写真4)。その家を今やっとリフォームしている最中という現場が所々にあった(※写真5)。

(4)2011年5月の大街道地区の住宅

(5)1階だけをリフォームし、2階と外観の色やデザインが変わっている家も
地元の職人によれば、「一時期、2階だけで暮らしていた方もいました。1階にあったキッチンもお風呂もトイレも流されてしまったのですがね...。今やっているお客さんは仮設住宅が嫌なので、津波被害を受けたこの地域でも戻ってくると言っています」。
石巻の主要産業である水産加工の関連施設が軒並み被災した渡波地区(※写真6)でも、これからリフォームするという物件に出会った(※写真7)。近隣の住民に話を聞くと「仮設から戻るために家を直す」とのこと。ここでは、新築の着工も始まっていた(※写真8)。

(6)沿岸部はコンクリ基礎のみ残したまま手つかずの状態

(7)フルリフォームの着工を控える住宅

(8)一部で新築工事が始まっている
被災地レポート(2)へ続く... >>>

最新記事
この記事を読んだ方へのおすすめ
-
WEB限定記事(2025/07/03更新)
-
1654号(2025/06/23発行)25面
-
1654号(2025/06/23発行)31面
-
1654号(2025/06/23発行)21面
-
1654号(2025/06/23発行)21面