▲津波翌日宮城県石巻市の様子(東北カナメ社長廣中聡氏撮影)
「地域の子供たちを守らねば」
「食料が不足しています。大人はがまんできるが子供はできるものではない」と東北カナメ(宮城県仙台市)の廣中聡社長は話す。震災があった当時、石巻に在中していた廣中社長。すぐさま近くの建物に逃げ込むも自身の車は津波に巻き込まれた。まさに九死に一生を得た。
その目で目撃したのは子供のミルクが全く足りない状況だ。「なんとか手助けができないか」まだ被害が少なかった秋田、岩手、山形の支店にいる社員が団結しミルクとオムツをかき集めた。こうして集めた子供用品は各自治体に運搬後、石巻など被害が深刻な地域に配布してもらう手配を整えている。
ただ、住宅の補修は資材の搬入がままならない状況にあり着手できていない。東北カナメが位置する卸町は壊滅的な被害があった市内の地域と比較すると建物被害は軽度でおさまったものの、壁の亀裂や落下などは発生している。最低限できることとして現在、札幌や山形の支店でブルーシートや土嚢といった補修用の資材を確保。配送が可能になり次第、復興への活動を開始する予定だ。
宮城では2005年に宮城南部地震、2008年に岩手・宮城内陸地震などの大型地震がおきているが、今回の地震がそれらと違うのは交通網の麻痺が深刻な事態を招いているという点だという。救援にかけるける他県の車をほとんど市内で見かけることはない。

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