伝統工法の家は大津波でも残った

▲岩手県陸前高田市竹駒地区(2月15日撮影)
伝統工法の家は大津波でも残った!!
まるでお寺か能舞台かと見間違うこの建物、被災前まで一般のご家族が6人で暮らしていた普通の住宅だった。写真では窓が全て取り払われたように見えるが、3月11日、津波が軒下までの高さで襲いかかり、壁や家財がごっそり流されてしまったのだ。
場所は陸前高田市竹駒地区。海からは5キロも離れた場所だが、巨大津波はこのエリアまでものみ尽くした。驚くべきことは周囲のほとんどの家が同じ津波で基礎だけ残して跡形もなく全壊している中、この家だけはしっかりと残ったこと、しかも築130年を数える古民家なのだ!
「気仙大工の家」と呼ばれるこれらの家は、釘を一切使わず100パーセント国産無垢材に角ノミでホゾを彫り木組みにより建てられている。陸前高田で建築事務所を営む藤原出穂さんによると「梁は赤松材の50センチ角で150年以上経つものが使われている」という。これぞまさしく伝統の強さ!巨大津波にも負けない復興のシンボルのような住宅だ。
◆被災者の声
自宅改修は100人待ち......地震保険の有無で明暗分かれる
人手不足のため自宅改修がままならないという被災者は多い。気仙沼で飲食店を経営する庄司勉さんもそんな一人だ。
「昨年10月に地元工務店に自宅を見てもらいましたが、その時点で私の順番は"100番目"を超していました。おまけに、見積もりをとったところ、簡単な補修で800万円、完全に元の状態に戻すためには1500万円と高額でした。実は、10年前に自宅を建てたのですが、『耐震化は万全』という触れ込みの住宅だったので、地震保険に入らなかったんです。少し高台に位置するため、津波は来ないだろうと甘くみていました。もし保険に入っていたら2000万円近く下りたと思うんですけどね......」
庄司さんは震災後、避難所では食事当番として朝昼夕と300人分の食事を用意していた。休む暇もなく働き続けたばかりに、自宅改修の申し込みが遅れてしまったのだとか。現在、仮設暮らしの庄司さんは、大学を卒業する息子さんが3月に帰ってくることから、なんとか春のうちに改修できることを望んでいるという。
▼庄司さんの自宅は1階が完全に津波で被害を受けて住めない状態。
今は家族4人で仮設暮らしだという(宮城県気仙沼市、2月14日撮影)

◆被災者の声
四畳半二間の仮設住宅にストレスを感じる被災者
震災以降、被災者の住環境は改善されているのか? 石巻市で文化交流事業、復興支援を行う「いしのまき環境ネット」理事兼事務局の川村久美さんに尋ねた。
「正直、暮らしぶりは良くなったとは言えません。仮設住宅に入ることができても、凍結や結露、カビに悩まされている人がいます。風除室は雨漏りし、長いつららができているところもありました。何よりストレスを感じるのは狭いこと。広くても4畳半の二間ですから。特に沿岸部だと、立派なお屋敷風のお家に住まわれていた方々も多いので、ストレスを感じるようです。仮設を物置として利用し、寝るのは浸水被害のなかった自宅の2階という人もいます」
実は、仮設住宅にはメーカーや規格によって、かなりの差が生じるという。なかには、足音や車のエンジン音で頻繁に目が覚めてしまうことを嫌気して、仮設住宅を離れる人もいる。障害を抱える人になると、仮設に入ったばかりにお風呂に入れなくなるケースもあるようだ。
▼仮設住宅は全般に狭いが居住性能には場所による当たりはずれもあるという(石巻市、2月13日撮影)

被災地の今(1)解消されぬ人手不足が復興を足止め...
被災地の今(2)復興作業員以外に人がいない南三陸町
被災地の今(3)伝統工法の家は大津波でも残った
被災地の今(4)石巻に大工6人を派遣、気仙沼にワゴン車2台寄付

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