復興作業員以外に人がいない南三陸町

▲津波で町ごと流された南三陸町にポツンと残された防災対策庁舎跡、ここには最後まで町民に避難を呼びかけていて犠牲になった女性職員へ向けたお供えがたくさん置かれていた(南三陸町、2月14日撮影)
復興作業員以外に人がいない南三陸町
より深刻な事態に陥っている街もある。南三陸町に足を伸ばせば景色は一変する。沿岸部のエリアには、全くと言っていいほど住宅は残っていない。あるのは、建機と急造のガソリンスタンド、高さ10mはあろうかというガレキの山々、そして防災放送の担当職員だった遠藤未希さんが津波の来襲と高台への避難を叫び続けた防災対策庁舎ぐらいだ。ひしゃげた赤い鉄筋がむき出しの庁舎入り口部分には献花台が設けられ、訪れた人々が花や缶コーヒー、お酒などをお供えしていった様子をうかがい知ることはできるが、周囲に人影はない。カキやホヤの養殖で栄えていた港町の面影は皆無だ。リアス式海岸の特性上、巨大な津波が収れんし、内陸に入るほど荒々しく街をのみこんでいったことが一目でわかる。
「漁港の整備もままならい状況で、港町が復興できるはずがない。私は、将来は南三陸町に戻りたいと思っていますが、あの津波被害を受けたら、帰りたくないという人の方が多いはず」
南三陸町に自宅があった千葉誠の阿部浩取締役が話すように、南三陸町からは復興の足音がほとんど聞こえてこなかった。

▲気仙沼港からすぐに位置する「気仙沼横町」気仙沼港で水揚げされた海産物を扱う飲食店、生鮮食品店、土産物屋などが所狭しと並ぶ。夕方頃から多数の客でにぎわうとか(2月14日撮影)
気仙沼のカキ、ワカメは最高のデキに!?
だが、暗い話ばかりでもない。南三陸町から北に車を走らせれば、気仙沼港にわずかながら活気が戻りつつあることがわかる。昨年末、気仙沼港のそばにオープンした「復興屋台村 気仙沼横町」には屋台風の飲み屋や魚屋、地元特産を扱う土産物屋が所狭しと並んでいる。魚屋には気仙沼港に上がる"モウカの星"(モウカサメの心臓)やワカメなどが並び、訪れた人が物珍しそうに手に取っていく。「お客さんが多い時は、午前中に売り切れてしまうこともある」(店主)というのだ。
実は、津波は思わぬ恵みももたらしている。地元の人はこう話す。「今年のワカメやカキは育ちが最高と言われています。津波が海岸を洗い流し、生育環境を整えてくれたという話もあります」
当然、プラス・マイナスで考えれば、計算にならないほど津波被害による損害は大きい。しかし、海岸線を走れば、ところどころに、南の島をもほうふつさせる透き通ったマリンブルーの浜辺を見つけることができる。復興の歩みとともに、海は奇妙なほどに自浄機能を働かせていたのだ。
街にも徐々にだが、活気が戻りつつある。
「人口16万人ほどの石巻は震災により、1万人ほど人口が減ってしまいました。しかし、若いボランティアの方々が今もたくさん復興を手伝ってくれている。確実に、平均年齢は震災前より若くなっている。おかげで、飲み屋は大繁盛(笑)。この若い人たちが少しでも多く、この土地にとどまってくれることを願うばかりです」(山友殖林・高橋武一社長)
被災地を取材しても、意外にも生活に対する不満の声はあまり聞こえてこない。「困っていることはありますか?」の質問に、即答する被災者はいない。挙げたらキリがないのかもしれないが、「東北人は忍耐強い」という表現の確からしさは随所に垣間見える。
震災から間もなく1年----歩みは遅くとも、復興は成ると感じるのだ。
被災地の今(1)解消されぬ人手不足が復興を足止め...
被災地の今(2)復興作業員以外に人がいない南三陸町
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