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猪狩工務店猪狩社長→共栄建築河住社長

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猪狩工務店 猪狩社長 → 共栄建築 河住社長

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交友録

~第19回~
2代目社長のお手伝いが、今では仲間一の成功例に

猪狩工務店 猪狩茂男 社長 共栄建築 河住良幸 社長
猪狩工務店(埼玉県伊奈町)
猪狩茂男 社長

右

共栄建築(埼玉県さいたま市)
河住良幸 社長
《猪狩社長プロフィール》
昭和30年4月30日生まれ、福島県田村市(原発から30km圏内)出身。町立中学を卒業後、16歳で大工見習修業を8年、24歳で独立し猪狩工務店を設立。趣味はそば打ち、尺八、野菜作り。信条は「継続は力なり」。
《河住社長プロフィール》
昭和39年8月20日生まれ、埼玉県さいたま市(旧浦和市)出身。日本大学短期大学部建築科を卒業後、共栄建築に入社。25歳の時に父が倒れ業務を引き継ぎ、41歳で社長就任。趣味はサッカー(4年前まで少年団のコーチをしていた)、信条は「因果応報、努力は裏切らない」

 河住社長とは地元工務店の勉強会で知り合い12、13年が経ちますね。共栄建築の2代目だけど、社長にはまだ就いていない時期。でも、先代が長い間ご病気だったこともあり、社長になる自覚はすでにお持ちで、着々と準備を進めていました。

 ところで、地元工務店の社長というのは困ったもので、実に自分本位な経営をするものです。私を含め初代はとくに職人の延長でやってきているから、いざ2代目に引き継ぐときに経営の手ほどきができない。河住社長も例に漏れずで、「経営のことは何も分からない」と当初は言っておられましたね。

 数年後に社長交代となり、その後に先代もお亡くなりになりましたが、その時期までに彼は本当に貪欲に経営について学んでいったと思います。 私もできる限り協力させてもらいました。「チラシはどうやって作るのか」「ホームページは...モデルハウスは...接客は...」と本当に熱心に聞いてくるんですよ。「ご都合がつくなら、今から伺ってチラシを作らせてもらえませんか?」と夜遅くにウチに来て、印刷機で1000部刷って「これで朝にチラシ入れられます!」と帰っていったことも。本当に親身になりたかったのです。

 それが、今ではこちらが色々教えてもらわなきゃいけないくらい。仲間内では"河住さんのところは我々の中の成功例だよね"と言っています。当初の勉強会は現在、「さいたまダントツスーパーウォール会」という名前になって月1回勉強会を行っています。河住社長は副会長、私は相談役。それぞれの2代目、3代目も会の"若手会"で頑張っていますよ。

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